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明治末期に登場した『赤塗り電話ボックス』は、電話ボックスとしては2番目の形式です。
明治44年度には全国で200か所に建てられ『自動電話』は庶民の電話として活躍しました。
このボックスは、小松駅前にあったものと伝えられ、明治末期の小松駅前の写真に写っているものではないかと考えられ
ます。駅前で使われていた期間は不明ですが、その後個人に払い下げられました。
設置より100年が経ち老化が激しく、底の木造部分は新しい材料で修復しました。
中に設置されている『自動電話』は中古品を使って復元したものです。
5銭と10銭の硬貨投入口があり、硬貨が落下する時に、5銭はゴング(チーンという音)、10銭はらせん状の鋼(ポーン)
と言う音が鳴る仕掛けになっています。
交換手はこの音を聞き分けて料金の投入を確認しました。
明治41年2月26日、小松郵便局内に電話交換局が併設され、電話交換業務が開始されました。
明治23年12月、東京・横浜間で日本初の電話交換が開始されてからおよそ18年後のことです。
北陸では、明治34年3月、金沢で最も早く電話交換業務が開始され、加入者は183。
業務開始草創期、政府が電話の効用を盛んにアピールしたにもかかわらず、横浜がわずか45台でスタートしたのに比
べ、金沢では申し込みはその倍数もあったといいます。10年余りの間に、地方の都市にまで電話の効用が浸透したこと
が伺えます。
明治30年代の戦火(日清戦争・日露戦争)を通じてますます情報通信の重要性が認識され、国力の向上もあいまって、
終戦翌日の明治39年から、明治末までのわずか数年の間に、回線の新設や接続といった整備が急激に行われ、その
体勢がほぼ整えられてゆきました。
こうした社会的な事情を背景に、小松にも最初の電話が引かれることとなります。小松の電話第一号は当時の電信電話
業務をつかさどっていた逓信省所管の小松郵便局に設置されたのです。
明治40年3月のことでした。
そして翌年、小松郵便局内に電話交換局が併設され、一般をも含めた電話交換業務が開始されるのです。
当時の加入台数は126台。加入者の内訳は公官庁と特設電話設置を申し込み許可された小松町民でした。これを機
に、広く電話が普及してゆきます。小松における情報通信時代の幕開けともいえるでしょう。
2008年2月26日、この日から100年を迎えました。これを記念して、産業の発展を支え、人々の営みに深く関わってきた電
話の歴史を振り返りたいと思います。
電話の普及による社会変化、家庭への普及、そしていまや一人一台の時代へと、目まぐるしい変遷を辿ったこの一世紀
に思いをはせる機会となれば幸いです。
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